どーも!
マルメです!
先日、妻から継続力あるよねって言われました。
継続力があるタイプではないと思っていた私。
私に継続力があるなら、私の考え方は継続を生む考え方を出来てるってことなのか?
ってことで自分なりの継続の秘訣を書いてみようかと。
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事の発端
事の発端は妻とのラジオ。
毎週水曜日の22時から妻のXのアカウントでスペースを活用して1時間ほど夫婦でトーク。
話題をひとつ妻が考えてくれているものの、それ以外の脱線の話がほぼ。
雑談に近いトーク。
その中で妻が私に継続力あるよねって言ってくれました。
どちらかと言えば飽きっぽくてコツコツとやるのが苦手なタイプだと思っていた私。
そう? って疑問符。
ブログを3年以上続けていることや、最近始めた家庭での脱毛のことを挙げて継続力があると言う妻。
確かにブログは3年以上やり続けているし、趣味のサッカー(&フットサル)も41歳の今も定期的にやる。
サッカーは小学生の頃からやり始めてかれこれ30年やり続けている。
脱毛は始めて1か月だけど、週に2~3回のペースで自分でやる。
全身やるので1回30分ちょっとはかかる。
面倒でやめちゃう人が多いのにちゃんと続けるよねという妻の評価。
確かに続けていることに関してはずっとやってる。
私は継続力あるってことか?
ならば私が継続できている理由を書いてみたら誰かの役に立つこともあるかもしれない。
ってことで記事にすることにしました。
継続できる理由
継続できるのかどうかで一番思うこと。
好きか目的があるかのどちらか。
私のサッカーは好きだから続けていること。
サッカー自体も好き。体を動かすのも好き。友達が集まるのでそこで話すのも好き。
だからやりたい。
体型の維持も気にしているけど、サッカーを続けたいって理由もある。
(見た目を良くしたいってことも理由)
サッカーを続けようと思って継続いているというより、楽しい時間を過ごしたいからサッカーをする。
続けようと意識ではなく、結果的に続いている。
ブログはどうか。
ブログも好きだから書いている + 子供達に想いを伝える手段として意義がある と思っている私。
単純に何かあったら身近な人に話したなる性格。
それを書くという方法で表現。
そしてもし自分に何かあって、この先子供たちに自分の口から伝えることが出来なくなったときにブログが活きる。
ブログ記事を残し続けておけば、ブログを介して子供たちに伝えられる。
そういうことから今もずっと書いている。
脱毛に関しては、ゴールが楽しみだからまだやめていない。
面倒な髭剃りをしなくていい。
サッカーの時に足首に巻くテーピングはすね毛があると 巻きにくい & ちゃんと巻けない & 剝がすとき痛い というデメリット3個セット。
すね毛もなくなれば私にとってはメリットが大きい。
ということで、脱毛の作業自体は面倒。
でもその先にあるゴールは魅力的。
だから面倒だけど続けている。
脱毛できた状態の魅力よりも脱毛作業の面倒くさいが勝てば続かない。
脱毛を面倒でやめちゃう男性は、脱毛後の魅力をそこまで感じていない。
女性は脱毛後の魅力を感じる人が多いから脱毛を継続できる。
ってことではないのかなと。
最終的に何が言いたいかと言えば、好きなのか、目的があるのか、この2つが継続のポイントなんじゃないかということ。
継続が目的かどうか
継続が目的なのかどうかでも違う。
私のブログがまさにそれ。
ブログをなんのために書くのか。
収益化を主目的に始めたというより、収益化できる可能性のある趣味って面白いってことで開始。
夫婦喧嘩0が自慢だったので、我が家の考え方が誰かの家庭円満に繋がったらうれしいなという思いで始めたブログ。
収益化できるかは分からないけど、やれば可能性はあるなと。
でもブログで収益化したいという熱い思いはなかった。
だから収益化を目的に始めて、収益化のためにブログを書いていたら、私はおそらくすでにブログをやめている。
継続し続けることを主に考えた時には、書きたいことを書かないと楽しくない=続かない。
なので、自分が楽しく書ける内容でブログを書く。
その結果、収益化からは程遠い記事の内容になる。
でも自分はそれで良かったので今も書きたいことを書きたいペースで書いている。
(収益化できるならラッキーだけど・・・とは思っている)
一時期はやっていた毎日更新をする訳でもなく、思ったことや言いたいことをつらつらと書いているだけの私のブログ。
私が言いたいことを言って、やりたいようにやって、それでもたまには誰かにとって役に立つ話になったとしたら嬉しい。
そういう温度感。
だから継続できている。
というより継続できるやり方で続けている。
ブログをちゃんと書いている人からしたら激甘の考え方でしょう。
そんなの書いて意味あるの? と。
私にはあります。
まずは趣味として。
そして子供たちに伝える言葉の蓄積として。
収益化はしたいなぁとグーグルさんにお願いし続け断られ続けた過去もありますが。
そこが一つの分岐点。
収益のために一生懸命書くのか、趣味として楽しむのか、ブログをどう書いていくのかを考えた結果、無収益スタイルへ。
始めるときに継続することが重要であると思っているのであれば、継続できる方向性を持って始めることも大事かと。
続かない代表「勉強」
例えば続かない代表の勉強。
勉強を継続させるとしたら 勉強が好き or 勉強をする目的がある という状態でないと続かないということになる。
出来た! という楽しさを勉強で感じられるようにすることはやっぱり大事だと改めて実感。
小さいうちは出来た! の喜びで勉強が出来るかもしれないけど、途中から(小学校3~4年生くらいからでしょうか?)はそれ1本では難しいでしょう。
そうなると目的があるのが勉強の継続につながる。
○○高校に行きたい。○○大学に行きたい。お医者さんになりたい。海外で働きたい。
そういう目的があれば、目的を果たす手段として勉強をするでしょう。
と、考えれば親は勉強しなさいと言うより、勉強がしたくなるような目標を子供が持つように仕向けた方が勉強をするように思う。
馬を走らせるなら、馬を説得するより、目の前ににんじんをぶら下げた方が効果的。
そんな感じ。
親も勉強してほしいのは何故なのか?
少しでも良い大学に入って、良い会社に就職して、安定した生活を送らせたいから?
グローバルな人間になってほしいから英語を話せるまで勉強してほしい?
人によって考えは違う。
親子でも考え方は違う。
親子で持っている情報量が違う。
情報量が違えば、行きつく考えの先が違う。
だから親のこうすべきはきっと子供には伝わらない。
ならば、子供が親と同じようにこうすべきと思ってもらえる情報量と質を与える方がいいのでは。
英語を学ばせてグローバルな子にしたいなら、子供がグローバルな人間になりたい or ならないと と思えば、その手段として英語を学ぶのでは?
方法を与えたり、方法の必要性を説いてもあまり響かない。
ゴールの魅力だったり、将来のリスクだったり、目的を共有した方が良いのではないかなと。
そんな風に思いましたがどうなんでしょう。
以前に行動力についても考えてみました。
行動力も継続力も行きつくところは同じなのかなと。
得たいプラスがある。消したいマイナスがある。
それが原動力となって行動をし、そしてやり続ける。
人ってそういうことなんじゃないかと。
子供たちがこうなりたい、こうはなりたくないと、はっきりとしたものを持てるようになると行動しやり続けてくれるでしょう。
子供たちが未来への目的をしっかりと持てることを願って。
それでは See You!
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