どーも!
マルメです!
我が家の長女は真面目。
宿題とか必ずちゃんとやる。
でも問題が分からない。
でもやらないといけない。
狭間の中で泣きながら進める宿題。
- 三姉妹(小4・年長・年少)の父
※24年9月時点 - 夫婦ケンカ0継続中が自慢
- 家訓は【遊び心を忘れない】
- 占いによるとクソ真面目な子煩悩
- だけど笑わせることが生きがい
宿題の分からないところは私に聞いてくる長女。
長女の中での役割分担があるらしい。
聞かれるのも教えるのも良いんだけど、毎回のように険悪な感じになる私と長女。
私の精神力が未熟ってのも原因。
でもあれはイライラする。
考えようともせずに嫌々やって問題が解けずに進まない。
そして時には泣き出す。
でも宿題はやりたい。
でも分からない。
でもやめたくはない&やりたくもない。
嫌そうに座っているだけで何も進まない。
こっちもイライラする。
私は宿題をやれとは言わない。むしろ分からないならやらなくても良いって言う。
分からなくても怒らない。
テストの点数が悪くても怒らない。
分からないのは構わないけど、宿題をやるならやる、やらないならやらない、ハッキリしてほしい。
分からない問題は長女が分かる問題まで分解して聞く。
長女は基本的に単位が変わるものが訳が分からなくなるらしい。
分と時間とか、mmとcmとか。
3時40分の30分後は? って問題だとチンプンカンプン。
40+30は分かる。
でも時計は訳が分からないらしい。
お金はまだ分かる。
イメージしやすいからか?
千円が5枚で何円? は5千円って分かる。
1000が5個でいくつ? って聞かれると分かりにくいらしい。
単位の感覚が難しいらしい。
だから先ほどの時計の問題なら、まずは40+30は? って聞く。
考える気もない長女は40+30を計算しようともしない。
書こうともしない。
計算しても分かるはずの70を導き出さない。
長女のそういう姿勢にイライラする。
一方長女はおそらく、時計の問題は分からないという思い込みで「無理」「できない」としか思わない。
だから解けると思っていないので解こうともしない。
一種のアレルギー反応。
分からない問題をいつまでもやらされて辛い。
でもやめると宿題が出来ないことになる。
宿題は出さなきゃいけない。
その葛藤や追い込まれた気持ちで泣き出したりする。
私たちが子供の頃にはあった、給食を食べるまで取り残されている子供のよう。
嫌いな野菜を目の前にして給食を食べられず、給食を前にして、ただ座る子供のよう。
その野菜を避けるとその下には好きなハンバーグがあったとしても、野菜を触ろうともしない感じ。
最初からこれは食べれないって思って箸を持つ手が動かない感じ。
小学校に入ってからずっとこんな感じ。
もっと勉強が分かるようにチャレンジタッチとか習い事とか、楽しませながら勉強を教えてあげれば良かったじゃないの? という意見はあるでしょう。
その通りだと思う。
上手に楽しみながら教えられたら良かったと思う。
保育園時代の勉強とかの意識がないときに遊びで時計の問題出したり、してあげれば良かったと思う。、
勉強を教えるのが遅かったか、下手くそだったのか、勉強をやろうとする段階で拷問みたいになっちゃう。
一時期チャレンジタッチはやっていたけど、分かるところはやるけど、分からないところは途端にやらない。
親も上手くやるように仕向けることができなかったせいかもしれない。
もう現時点になってからでは、どうにかするにはかなりの難題。
分からないジャンルの勉強をやるって段階でアレルギー反応状態。
そして疑問も湧く。
学習障害とか、そういうのがあるんじゃないか?
前々から感じるところはあった。
読字障害と算数障害は可能性を感じる。
文章は読めるけど、文章意味の理解が難しい。
掛け算や割り算、数の概念の理解が難しい様子。
算数の文章問題から求める式が分からない。
例えば、25+12の足し算は計算できる。
でも文章問題から25+12の計算が必要だと導き出すことが難しいので、答えを間違える。
10+10の答えが20って言ってるつもりだろうけど12って言ったらする。
算数の文章問題を解いていると、「頭の中がグシャグシャになっちゃう」って言う時がある。
こういうのって当てはまると思って見てみると当てはまることが多いし、当てはまらないと思えば当てはまらないことが多かったりする。
でもその気はある感じ。
あるならあるって分かった方が本人も楽なんじゃないかと。
もしかしたら自分は人と違うんだと長女がショックを受けるかもしれない。
その可能性も感じていて安易には調べようとは思えなかった。
分かったほうが良いのか、分からないほうが良いのか、どちらが最適なのか分からない。
でも、もしどうにも分からないなら、分かるまでやれとやらされるのも辛い。
理系だけど物理が全然分からなかった高校生の私。
当時の先生の教え方の問題だったのか、私の理解力不足だったのかは分からない。
同じクラスで分かる子は分かるので、私の理解力の問題でしょう。
でも何回聞いても物理は何を言ってるのかあまり理解できなかった。
何で分からないの? って詰め寄られても分からなかったと思う。
そんなのただ辛いだけ。
切ないだけ。
今の長女はきっとそんな感じなのでしょう。
私は長女が問題を分からないことが分からない。
何がどう分からないのか分からない。
1時間は60分だよって何回言っても覚えられなかった。
最近はようやく覚えてくれたみたいだけど、ここまで覚えられない意味が私には分からない。
多分、年中の次女でも1週間くらい1時間は60分って教え続ければ、それだけは覚えられると思う。
きっと本人も何故分からないのかが分からないと思う。
分からないのが自分の努力が足りないせいじゃないと分かれば真面目な長女は気が楽になるでしょう。
単位の変わる問題は特に分からないけど、九九も覚えきれない。
お風呂に九九の表を貼って何度も一緒にやってきてつもりだけど足りなかったのか。
長女には覚えにくいものなのか。
九九が微妙だから割り算はもっと微妙。
あまりのある割り算はもっともっと微妙。
妻とも何度か話してきた。
学習障害の可能性をお互いに感じ、調べることが長女にとって良いのか悪いのか判断が難しかった。
嫌なことことから逃げている感じもある。
嫌なことにしてしまった私達親に上手さが足りなかったかもしれない。
嫌になった理由が不明。
嫌いだから逃げているだけなのか、どうにも理解できないから逃げてしまうのも仕方がないことなのか。
調べてみようかと気持ちが傾いてきている。
単純に学習能力と教育が足りていないだけかもしれない。
学習障害がなかったと分かれば、ちゃんと教えてあげられなくて長女に申し訳ないと思う。
そして長女にももう少し頑張ってほしいと思う。
学習障害があったからといって特別何かをしようとは思わない。
アレルギーを調べたら何アレルギーか分かったってのと似た感覚。
そうなんだって感じ。
足が速い子も遅い子もいる。手先が器用な子もいれば不器用な子もいる。背が高い子も低い子もいる。
メイクの仕方とかいつの間にか覚えている。
興味があるかないかの違いなのか、覚えやすいことか覚えにくいことの違いなのか。
それはよく分からないけど、その子の特徴。
やらずに避けられるものもあれば、小学校の算数のように避けきれないものもある。
ちょっと走るのが遅くても学校生活に苦しくなるほどは困らない。
モテるモテないとか、走るのが恥ずかしいとか、もちろんあると思う。
でも学校に行くのが嫌になることではないと思う。
多分。
九九や時計とかは苦手だと学校が嫌になる可能性もある。
多分。
でも自分が分かればそれに合わせていけばいい。
アレルギーがあるのに無理して食べ続けるのは辛い。
食べられないなら違うもので代用して食べればいい。
そんな風に長女の勉強も上手く対応していければと思う。
まずは事実確認。
勉強は大事。でもそれが全てではない。
大事な根っこの部分は人生を如何に楽しめるのか。
そのために勉強も必要だけど、違う方法もある。
自分の人生を楽しむための方法としての選択肢は一つ減るかもしれない。
でもそれが全てではない。
最後に長女を褒めておきたい。
これは本当に長女のすごいところだと思う。
泣きながらやるような宿題なのに、ちゃんと出せるように宿題をやりきる。
そして親からやれって言われなくても自らやる。
土日に遊ぶ予定があると、ちゃんと遊びを楽しめるように嫌な宿題を先にやる。
たまに普段寝る1時間、30分前に進めておきたいからと宿題を始める長女。
宿題をやっている最中は目の前の難問(長女にとっては)からは逃げるのに、宿題そのものからは逃げない。
そういう時は妻と2人で長女を褒める。
「長女ちゃんのそういうところ本当にすごいと思う」
褒めると言うより感心する。
なんならちょっと尊敬する。
学習障害があるのかないのか分からない。
自分を知って自分に必要なものを自覚できれば良い。
楽しい人生を送る方法はきっといくつもある。
それを探していこうぜ長女。
子供たちが人生を楽しめることを願って。
それでは See You!
最後までお読み頂き嬉しいです。
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